JAM~新しいまなざしを考える会~Joint Attention of Minorities

2007.7.7.~

jamlogonew2007年7月7日、綾屋紗月(自閉スペクトラム症)と熊谷晋一郎(脳性麻痺)は共に活動を開始しました。名刺を作ったり学会で発表したりする際に所属先がなかったので「無いなら作ってしまおう!」とこの会を立ち上げました。

結果的にこの団体名で具体的な活動をすることはなく、綾屋、熊谷共に個人で活動しています。しかし活動趣旨は当初のまま変わらずに私たちの活動の基本理念となって生き続けています。

活動趣旨のご案内
Joint Attentionとは

赤ん坊は9ヶ月くらいになると「指さし」を始めます。これは「養育者と興味関心を共有しよう」という身振りです。
赤ん坊が、ある対象を指さすとき、必ずしも「あれをとって」などの意図を持っているわけではありません。「ほら、あれ。」という赤ん坊の指さしに対し、「ああ、そうね。」と養育者が応じる。赤ん坊にとっては、そういった注意の共有そのものが目的となっていて、それが達成されたこと自体で満足する場合も多いのです。
つまり人間には、生まれながらにして「他者と共感したい」という欲求があるわけです。このような注意の共有を“Joint(ジョイント) Attention(アテンション)(以下JA)”と言い、日本語では『共同注意』と訳します。
JAによって赤ん坊は、親をはじめとする周囲の人々が「世界をどのように見ているか」というまなざしを取り込んでいきます。こうして、社会の多数派が共有するまなざしは、次世代へと受け継がれていくのです。

同化的圧力

しかしよく考えてみると、この世の中には二人として同じ身体を持つ人間はいません。例えば脳性麻痺の人にとっては、高さ3センチの段差は無視できないものですが、多くの人にとっては意識にものぼらないものでしょう。世界のどこに注意を注ぐかは、個々の身体と置かれた環境の摩擦によって変わります。すなわち誰もが、世界に対して異なったまなざしを持つのが当たり前と言えます。
とくに、私たちのように、身体的条件が多数派から、量的に大きくかけ離れている人の場合、「確かにこう感じている、こうしたい」といった感覚や意志が周囲の人に伝わりにくく、苦悩の量的な差が見過ごされ、「苦労しているのはみんな同じなんだから、もっと頑張れ。」「わかるよ~、私もそう。でも、私も頑張ってるから一緒にがんばろ!」というまなざしを注がれることになります。その結果、少数派は生きにくさを感じやすく、また、自信喪失に陥(おちい)りがちです。
このように、多数派が持つ、個々の違いを「大したことないもの」として過小評価するまなざしを、『同化的圧力』といいます。

第一~第三世代という考え

同化的圧力というまなざしを取り込んで、「みんなと一緒のはずなのにできない自分は価値がない」という自己否定や、「できない自分は努力不足だから、もっと頑張らねば」という過剰適応にむかう少数派のことを私たちは『第一世代』と呼んでいます。
もっとも、第一世代の中には人生のある段階で、「自分と似ている身体的条件」を持った人たちからなるコミュニティに出会い、JAを経験する人がいます。この経験を私たちは、『承認』と呼びます。また、「承認されるコミュニティに出会った少数派」のことを『第二世代』と呼んでいます。
やがて第二世代は、コミュニティに属する人たち同士にも違いがあることに気づきます。例えば「聞こえない」と一口で言っても聞こえ具合や聞こえなくなった年齢、通った学校や友人関係はさまざまで、経験してきたことも、感じてきたことも異なることを知るのです。にもかかわらず、「聞こえないとはこういうことだ」「ろう者とはこうあるべきだ」といった、コミュニティが共有する『まなざし』は、一人ひとりの違いを見過ごし、再び同化的圧力として作用します。
このようなコミュニティ内の同化的圧力から逃れるようにして、「聾学校卒同士」「聴者の通う学校に通った者同士」「中途失聴者同士」のようにコミュニティは細分化していき、やがて『個』に戻ります。と同時に、自分の特質のうちどの部分が「ある身体的条件」に起因するものであり、どの部分がそうではないかについて洞察を深めます。つまり、「自分らしさ」というものが、ある身体的条件によってすべて決まるのではなく、ある身体的条件を自分の一部として位置づけられるようになる。この段階を『第三世代』と呼びます。

異なる第三世代同士のJA

さて、私たちが興味を持つのは、『身体的条件が互いに異なる第三世代同士のJA』です。
先にも述べたように、同化的圧力を避けるようにして細分化していく第二~第三世代へのシフトは、再び『誰ともつながらない個』に戻る危うさを抱えています。一方でそれは『個としての自立』という望ましい傾向であると同時に、他方では、権力によって操作されやすい『分断された個(新第一世代)』を生む可能性があるのです。ですからそこに、互いに違うもの同士が、JAを取り結び主張していく必要性があると考えます。
以上のような問題意識のもとに私たちはこの会を発足させました。

これまで多数派から周辺に追いやられ、追いやられた先でさらに周辺に追いやられ、という連鎖のもと細分化して行きがちだった少数派が、新たに、違いを前提としたJAを模索する場所、それがJAMです。

活動指針

JAMは、以下のような3段階からなるコミュニケーション/研究活動を行います。

1.承認
「こう感じる、こうしたい」という感覚や意志を、「確かにあるもの」として認め合う。さらにそれらに名前をつけ、お互いに通じる言葉として共有する。

2.JA的当事者研究
相手の「こう感じる、こうしたい」という感覚や意志が、自分の中のどの感覚や意志と『質的に』同じで、『量的に』違うかを、その内面が生じる現場を共有することで考えていく。そしてこの感覚や意志が生じる理由や対処法を共に探る。

3.ミミック的社会学
私たちはあらゆる個人差を質的なものではなく、量的なものであると信じている。私たちは、違いを質的なものとして過大評価する立場をとらない。かといって、量的な違いを過小評価する立場もとらない。
質的一致と量的不一致を知性的に理解した上でのJAを『ミミック』とよび、そこから多数派を含めた社会全体をより深くまなざす視座を提案する。

以上
2007.7.7.

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